愛用の包丁についての語り。
こんにちは。
今日は特に生産的ではない1日を過ごしました。
基本的にネットサーフィンをして終わった感じです。
ただ、これはやろうと思っていたことがありまして。包丁研ぎ。
日本の田舎の金物屋さんで買ってきた全鋼の定期的に磨かないと変色する手間のかかるやつ。一応牛刀に分類されるみたいです。
特にどこかの有名なやつではない3000円くらいのやつです。しかし自分で研いで手間をかけて使い込んでいるので凄く気に入ってます。
昨日ミネストローネを作っていてトマトを切る際に切れ味が落ちているのを発見。
他の野菜を切っているときは相変わらずよく切れる良い包丁だと思っていたのですが。。
日本から同時に持ってきた中砥の砥石で、側面も変色していたので磨きました。
側面は研いだ時に出る泥のようなものをクレンザー代わりにしてワインのコルクの先端につけて磨きました。
Before
After
写真の縦横変わっちゃったけどめんどくさかったのでそのまま。
少々水垢みたいな変色跡は取れませんでしたが問題ないということで。
スッキリ。
恐ろしくよく切れるようになりました。
包丁の切れ味は料理の味に影響すると言われてますが、確かに今日作ったペペロンチーノはニンニクがよく香ってくれました。感動。
久々のフォトウォーク
こんにちは。
今年の年末は帰国せずメルボルンで過ごします。
夏休みということでフォトウォークにふらっと行って来ました。
行きつけのカフェ。閉店した後も電球の明かりは付けっ放しで夜にいい雰囲気が出ている。
夕方には友達と韓国焼肉を食べてきました。(肝心の写真はなし。油はねると困るんで。)
ふらっと財布と携帯とカメラ持って家出てたら夢中になって隣駅まで歩いてました。
この日、天気は曇りで如何せんどんよりして写真日和ではない。
しかし曇りにも美を見出せないだろうかと試行錯誤してました。尚、手応えはなし。
線路横の舗装された遊歩道を歩いていくつか撮ってきた。
レンズはD3400のキットレンズの18-55。
こういう写真は単焦点の方が良いのだけれども。この日はそういう気分だった。
途中、小学生くらいの子供と父親がサイクリングをしていて通り過ぎていった。
カメラを構える僕に子供が『写真撮ってるんだね。』と話しかけてきた。
通り過ぎる一瞬だったのでまともな答えもできず『そうだよ。』としか言えなかったけどニコッと会釈を交わした。
フレンドリーな国だ。
こういう静けさを感じる写真が好きだ。心が疲れているのだろうか?
暗めの写真を撮る傾向にあるのはどうしてだろう。
万人受けしないかもしれない。自分のために自分がその時見た世界を複写するという点は譲れないのだけれども。
Oakleigh Station内のアンダーパス。
古い駅をそのまま保存する、合理性を少しばかり犠牲にする西洋ならではの方式。日本と違い自身がないから良いのだろうが、排水の設備が甘くて駅のアンダーパスは豪雨の日にはいとも簡単に冠水する。雨でなくともアンダーパスは常時天井から水が滴る箇所がいくつかある。この駅もそろそろ工事が入るのではないだろうか。
少々ピントが怪しい。
線路沿いを歩いていた時に思いつきで撮った。
この写真は個人的にうまくいったのではないだろうかと思う。高架下から撮影。夜の電車を外から見るのはなんか好き。
構図に関しては良いのか悪いのか知らない。笑
久々にゆっくりとできた良い1日だった。
日常生活に美を見出すということ。
こんにちは、お久しぶりです。
1ヶ月以上更新できていませんでした。
忙しいを理由にするべきじゃないですが、エッセイ課題に追われて土日も出かけていなかったので写真も撮れず…という感じです。
ここ最近のメルボルンはサイクロンの影響で大気が不安定で雨続きです。
昨日も夕方ジョギングに出かけたら夕立に降られてしまいました。
まともにフォトウォークできていないので部屋の中で撮ったものを。
僕のお気に入りの万年筆、LAMY VISTA(日本ではサファリのスケルトン扱い)。
メルボルンで購入したものです。インクは、オーストラリア製のRobert Oster。
Carbon Fireという色です。
パイロット色彩雫 、神戸インク物語なども売っていましたがこれが関税かからないので一番コスパが良い。勉強用にガツガツ使っていきたいので。色もたくさん種類があっていい感じです。
お気に入りの美しい文房具に囲まれて勉強すれば気持ちが良いもんです。
僕は手書きしている時が一番頭が働くので、エッセイの提出はパソコンですが紙とペンは必需品なのです。
メルボルンのテロを踏まえて僕が哲学的に思うこと。
こんにちは。お久しぶりです。
最近あまり時間がなくて(課題に追われて)更新していませんでしたが、ちょっと気になる事件が起きたので新鮮さを損なわないうちに、
この事件に意見するわけではなく、
自分の人生に思うことを書きます。
メルボルンの中心部で、ガスボンベを積んだ車に火をつけて(爆発はしなかったが)ナイフで通行人を無差別に切りつけた。3名が死傷とのこと。
尚、この事件はテロとして扱われているそう。
そういう事件が一昨日ありました。
今年はもう一件、テロではありませんでしたが上半期に、歩行者に車が突っ込むような事件がありました。
そういう事件が起こる度に思うのですが、
「人はいつ死んだって不思議じゃない」
自分が今海外にいるからなおさら敏感になっているのかも知れません。
実際は日本国内でもたくさん殺人事件があって、
ドラッグで狂った人間が歩行者を大量に轢いたとか、
学校の教室で騒いでたら他の生徒から怒りのあまり刺されたとか、
恋人を巡る人間関係が悪くなって恨み買って殺されたとか。
放火されたとか。
過去に遡ればテロもあった。
人の命は脆くて、病気だとか、交通事故とか、予期せぬ要因で終わってしまう。泥酔して階段踏み外して死ぬ人だっている。
いつ死ぬかなんてわからない。
先進国に関しては平均寿命は長くセットされてるけど、それでも突然死ぬことだってある。
何故なら、人間が犯罪を起こすから。
極論は、人間が生きている限り犯罪はなくならない。
程度は上下するけども、例えば窃盗や詐欺。激しいものだと殺人、テロ。
絶対安全が保証されるユートピアは存在しない。
僕が、個人的に人生について考えていくうちに、
自分用に立てた万物における前提のような仮説があります。
「全ては、必然である。」
個人的に、そう思っているだけなんです。
他人事だと思ってそういう風に考えるような、一見冷酷なような。
じゃあ、どうやって罪なき命が無差別に奪われた事象を説明する?彼らはそんな死に方をする必然の下に生まれてきたのか?
という新たな問いが生まれます。
だからこそ未完成の、「仮説」の状態なのです。
まだそれを説明する段階には辿り着いていませんが、もしかすると無理でしょう。
そもそもこういう問いに関して普遍的な解を見つけ出すことはないでしょう。
自分なりに解釈して、身の回りの物事を勝手に定義して、土台を作って、自分の人生を考える上でのインフラ整備に過ぎないのです。
そういう超個人的な話なので突っ込まないでください。
要は、
この仮説を用いて自分の人生を考えると、
いつか突然訪れるかも知れない必然的死を覚悟して、「今、この瞬間を真剣に生きる必要がある」ということです。
僕がオーストラリアで勉強することを決意して、それでこの数年間のうちにテロ、もしくは何らかの外的要因で死ぬことがあっても、それは僕の必然なのです。
今の、「他人事的精神状態」だから言えるのかも知れません。
生きていることは、死に向かうことであり、死を覚悟した上で僕はどんな命の燃やし方をするか?どんなプロセスを望むのか。
オーストラリアに来て、環境的要因からか以前に比べてそういう事を考えるようになりました。
という、自分の為に書いた思考のログとしての記事でした。
『雨』
Nudie Jeans 裾上げ。
こんにちは。
今回はジーンズの話。
今年5月に購入したブラックのスキニーリンを裾上げしました。
未だノンウォッシュです。製造工程で一回洗ってるとは思いますが。
ショップの店員さんが30でも大丈夫と言ってくれたのにも関わらず、
レングスは32インチのものを購入。
結構縮むんじゃないかと思ってたので。
店員さん曰く、ちょっと縮むけど履いてたらまた伸びると。
まあ、プロが言うんだから大丈夫なんでしょうねぇ。
まだ洗ってないのでどれくらい縮むのか不明瞭な状態ですが、二回ロールアップして履くのが嫌になって思い切って裾上げすることに。
生地がインディゴのスキニーリンと比べて少し厚い。なので二回折ると裾がすっきり感に欠けます。
ただ、店員さんと相談の結果、ノンウォッシュということでロールアップなしの状態でくるぶし丈まで切ってしまうのはさすがに避けた方が良いという結論に至り、一回軽くロールアップした状態でくるぶしが見える長さにしてもらいました。
デフォルトはチェーンステッチだったのですが、シングルステッチで返ってきました。
ポリ混デニムなのでそこまで裾のアタリが出るとは思えないので良しとします。
とりあえずこのままインディゴのスキニーリンと一緒に6ヶ月ノンウォッシュで履き続けます。笑
最近はインディゴばっかり履いてますが。