何故僕は留学するのか
どうも、TMATです。
留学決断の話
海外で大学進学を志したのは忘れもしない2016年10月。大学受験のラストスパートの時期。
高校の最後の定期試験の直前でもあったはずだ。
息抜きにネットサーフィンをしていた時に目に飛び込んできたアメリカでの大学進学。
調べに調べ、結局渡航先はオーストラリアのシドニーになった。
僕は試験勉強をすることも投げ出してひたすら調べた。
この時の心情は今でも僕には解らない。直感的に留学に食いついてしまっている自分がいた。
それまでは海外旅行もしたことがなければ、留学をしたいと思ったこともなかった。
スピリチュアルな力は持ち合わせていないのだけれども、海外進学が僕にとってはどうしても必要な過程であり、経験であることは本能的に分かっていた。
渡航までの話(出資者へのプレゼン)
留学にはどうしてもお金がかかる。出資者となる親の理解が得られないとどうしようもない。
1年くらいなら自分でバイトしてなんとかする人もいるのだろうが、3〜4年ともなれば後で自分で返すにせよ一時的に親に払ってもらう必要がある。
エージェント、家、学校、卒業後のビジョン等。幸い僕の家はオーストラリアに知り合いがいたのでこの国に関する心配は少なかった。
大学とその卒業後の予定に関しても調べられるだけ調べた。Googleのページも片っ端から読み尽くしたと思う。
その時に役に立ったのが先駆者たちのブログ。
集められる限りの情報を手に入れて親に、「僕はこう考えている」と真剣に説明した。
それが親にとっては今までの僕とは違うように映ったようで、思いの外あっさり承諾してくれた。
重要なのは、Why, What, Howの3点をきっちり説明することだ。
僕が留学するワケ
特に何故、留学をするのかというのは最重要事項だ。
僕の場合、当初の理由は「海外の教育形態に非常に興味があったから」と
「海外でも働けるようなスキルを身につけるため」
現在の僕は以下のように思っている。
英語が話せることの価値は薄れつつある。海外に数年住んで流暢に英語が話せるようになることはもちろんアドバンテージではあるのだが、
その英語を使って何を発信できるのか。どんなことを話すのか。これが重要なことだと思う。
海外留学なんてしなくても最近は英語が流暢に話せる人が増えている。
グローバル化という言葉をよく耳にするようになったが、とりあえず英語を勉強するというのは違うと思う。
僕たち日本人が本当の意味でのグローバル化として求められているものは何なのか、
それが最近の僕の思考のテーマである。
少しずつ見えてきているのだが、まだ文字として表現できていない。
まとまったら記事にするつもりだ。